1. 02:27 5th 1月 2010

    reblogged from: tuvuan

    彼らがとった行動は特異なものだった。通常の日蓮系の国家主義団体はテロやクーデターなど外へ向かって働きかけるのだが、日蓮会殉教青年党は集団自殺をほのめかして政府の中枢で信者が騒ぐという行動に打って出るのである。
     
     昭和12年2/17午前12時35分、宮城(皇居)前広場で黒地に白字で「死なう」と書いたビラを撒き散らしていた男が大声をあげながら切腹を企て、救急車に運ばれる。これが新聞報道によって死のう団の呼び名が定着する日蓮会殉教青年党のメンバー渡辺忠義であった。渡辺は病院で診断をうけるが軽傷であった。その15分後には警視庁正面玄関の大ホールで縞の着物に黒袴の男が突然座り込み切腹を図る。そのまま庁内の診断室に運ばれたが全治4週間のけが。これも死のう団メンバーの青木桜花であった。さらに午前12時45分、空き家となっていた元外務次官官邸に和服姿の男が現れ、これも切腹を図り軽傷をおった。これまた死のう団の山本重作。同じ時間には議会開会中の新議院の正門と通用門の間の庭で切腹を図り軽傷した男がおり、これも死のう団の長滝一雄であった。午後2時20分、内務省3階便所でまたも切腹騒ぎがあり、軽傷を負った男も死のう団の田中良一であった。