ただ、面白いことに、このような「十代で才能を発揮して、二十代でいっぱしのプロ」というタイプの天才型作曲家の系譜は、前期ロマン派を境に途絶え てしまう。
逆に言えば、ロマン派の時代になると、十代やそこらの「天才風」耳年増少年がプロに混じって音楽出来るようなレベルではなくなった(必要以上に高度に なった)、と言うこともあるのかも知れない。そして、その後といえば、ベルリオーズにしろワーグナーにしろブラームスにしろチャイコフスキーにしろマーラーやブルックナーにしろ、幼少の頃は さほど音楽一途でなく、20歳過ぎてもさっぱり才能の片鱗を見せなかったような怪しい経歴の「天才」が俄然多くなる。
彼らは、子供の頃から音楽に親しんではいるものの、少年時代までは絵画だの演劇だの科学だのにうつつを抜かし、モラトリアム(猶予)期間には法律や医学 を勉強し、17歳前後のある時、突然「音楽」に目覚める…というのがパターンだ。(つまり、しっかり「挫折」と「戦略」を持って世に出ているのである)確かにスタートは遅いが、いわゆる知能指数は高そうな青年ばかりなので、一旦道を定めるとその吸収力が驚異的なのも共通項。ほぼ数年で最低限の音 楽の基本はマスターしてしまい、基礎に縛られないぶん革命的な理想に燃え、下積みの苦労を経て20代後半か30歳近くなってようやく楽壇に登場。その後は 明確な個性を持って音楽界に作品を提供し続ける。
彼らの根幹にあるのは、幼少時に植え付けられた「直感」などではなく、厳しい生存競争の中で身につけた「戦略」だ。だから、ある時は、敵を攻撃し、ある 時は懐柔し、人の悪さと政略を全開にして「自分の芸術」をアピールする。なので、こういう作曲家たちをモーツァルトやシューベルトのような才能と一緒に 「天才」の一言で括りたくない、と言うのが本音。全く違ったベクトルの才能だからだ。